第3部
---女のお竜さんとの出会い


 
  ここで、女のお竜さんに出会うがやね〜  
 


 
  うん。すごい出会いやね  
 


 
  そうそう、お竜さんの家が火事になり
その家の中にお竜さんの弟が中に・・・
 
 


 
  うん
父親のかたみの刀を取りに、いったけど、
よう出てこんなっていた弟を助けたのが、龍馬さんやったと
 
 


 
  すごい人やね。皆、やじうまで、お竜さんが、助けてください。
っと叫びゆうに、見てみぬふり・・・
っと、書いちゅうね〜
 
 


 
  お父さんと、お母さんは、どうやって、出会ったが?  
 


 
  それは、お母さんが、お父さんに、ひと目ぼれよ。  
 


 
  うっそ〜。それは、そっちやろ〜  
 


 
  え〜そっちよ  
 


 
  違う〜〜〜 そっち(怒)  
 


 
  ま〜どっちでもえいけど・・・・  
 


 
  シーン・・・・・  
 


 
  おさらい。

「勝海舟先生の弟子になりました。長いあいだ、考えていた事の答えを、すべて勝海舟先生が教えてくれました。これからは、ただただ、実行していくのみです」
っというような、手紙を乙女ねえさんに書いているようです。
龍馬さんがどれほど、勝海舟さんに感動したか・・・。わかりますね。
龍馬さんは、さっそく人集めをしました。尊皇攘夷派だ、佐幕派だ、といって、人を殺しあうよりも、他の国に負けないような、日本にしようと・・・。龍馬さんの言っている正しさと、人がらにひかれて、若者が約200名ほど集まったそうです。
龍馬さんは、勝海舟さんと、江戸と大坂(いまの大阪)を順動丸という船で、何度も、行ったり、来たりしたそうです。神戸に海軍塾をつくるためです。
龍馬さんは、ここで航海術を学びました。雄大な海、すきとおる風、潮流を利用して、船は海の上を走ります。
「この海は、世界がつながっちゅうがぜよ」
っと、うれしいそうに、船に乗っていたようです。
また、勝海舟さんも、土佐藩主の山内容堂さんにかけあい、龍馬さんの脱藩を許してもらいました。
そして、脱藩した若者はたくさんいました。その若者を海軍塾でひきとる事も、許してもらいました。
龍馬さんは、勝海舟さんの秘書のような事をし、勝海舟さんの手紙をもって、日本中をまわっていました。
そんな、京都のある日の事です。
「だれか、助けておくれやす。家の中に弟が・・・。」
女の人が叫んでいます。
龍馬さんは、水をかぶり、炎の中に飛び込みました。
家の中には、刀をだいた少年がいました。
少年をだきかかえ外へ飛びだしました。間一髪で、助かったようです。
「おおきに・・・。おおきに・・・。」
その女の人の名前は、お竜さん。少年の姉でした。
このお竜さんが、龍馬さんの奥さんになる人です。
そして、神戸海軍操練所ができました。
龍馬さんをはじめ、若者皆、一生懸命学んだそうです。
火事で助けた、お竜さんの弟も訓練生になったそうです。
 
 


---薩摩と長州の仲直り---


 
  薩摩って?鹿児島県!
長州って?
山口県、か〜。なんで仲悪かったが?
 
 


 
  ね〜
昔の人の考えは、頭がかたいみたいやき
考え方の違いで、仲悪くなったがやね〜
 
 


 
  え〜っと、
尊皇攘夷派って・・・
なんやったけ?
 
 


 
  うん?
将軍よりも、天皇を尊び、外国の侵略を許さん人
 
 


 
  佐幕派は、幕府を支持する人よね〜
なんか、こんな事で、人間同士の殺し合いがあったがや〜
 
 


 
  そう、ほんで、龍馬さんは、殺したらいかん
話し合えば、きっと、答えは見つかるき
最後まで、殺したらいかんぜよ!って、いいよたがやと
 
 


 
  この辺の事は、ちょっと、むずかしいね〜
わからんろ〜ありちゃん?
 
 


 
  わかるで!
皆、仲良くしたら、えいだけやろ〜!
 
 


 
  そうそう、いい子やね〜♪  
 


 
  ありさになんか言う時
目が三角やね〜
 
 


 
  龍馬さんのように、男前って言うてや〜  
 


 
  はい
ここは、これで終わり〜
 
 


 
  う?
やっぱり。そうきたか〜
 
 


 
  おさらい。

神戸海軍操練所は、1年あまりで、つぶされてしまいました。
幕府の命令だそうです。尊皇攘夷派が、幕府をたおす訓練をしていると、思ったようです。
もちろん、説明してもわかってくれません。
龍馬さんたちの大きな夢が、わからなかったようですね。
勝海舟さんにも、江戸にもどるよう命令が出たようです。
軍艦奉行の肩書きもとられ謹慎処分となったそうです。
勝海舟さんは、江戸に戻るまえ、龍馬さんと、話をしたそうです。
「龍さんよ。おれは、謹慎処分でとうぶん表には出られね〜。これから、日本をひとつにするには、どうなさるんだい?」
「幕府は、もう終わりとおもうがです。薩摩も長州も幕府をたおすつもりやないろ〜か。」
「薩摩と長州は、仲悪いぜぃ。」
「じゃけんど、攘夷派、佐幕派の前に、このふたつを同盟(仲直り)させる、それができんかったら、日本は、滅ぶしかないでしょう。」
「幕府の役人がいうのも、おかしいな話だが、龍さんのいうとおりだぜ。日本がひとつになり、いったん大政を朝廷にもどしたほうがいいだろうな〜。」
「大政奉還ですか?」大政奉還とは、将軍の実権を朝廷(天皇)に返す事です。
「攘夷派と佐幕派。たくさんの血が流れるぞ。外国の思うつぼだ。皆、なぜわかんね〜んだ。」
「勝先生、わしが皆を説得しますきに。わしがやりますきに。」
「龍さん、悪いが、やってくれるかぃ。」
っと、いう会話をしたそうです。
そのころ、土佐では、勤王党員(攘夷派)がつぎつぎと、逮捕されていました。
中岡慎太郎さんも、ついに脱藩したそうです。
勝海舟さんは、龍馬さんを、西郷隆盛さんのいる京都の薩摩藩低に行かせました。
また、中岡慎太郎さんも、京都の薩摩藩低をめざしていました。
龍馬さんと、中岡さんも、薩摩と長州を仲直りさせる事。
と、同じ事を考えていたようです。のちに、薩長同盟が実現したそうです。
このころ龍馬さんは、また、命をねらわれるようになりました。
尊皇攘夷派からは、勝海舟と手むすんだ、うらぎりものと・・・・。
佐幕派からは、尊皇攘夷派だと・・・。この時、龍馬さんは、30歳だったそうです。
 
 


---新婚旅行---


 
  お竜さんと、龍馬さんの新婚旅行は、
九州の鹿児島県に行ったがやね〜
 
 


 
  うん
このころ、結婚したから、旅行するという習慣はなく・・・
このふたりの旅行が、日本ではじめての新婚旅行といわれている。
と書いちゅうね〜。やっぱり、かっこえいね〜
 
 


 
  このころには、革のブーツを履いていた。っと、書いちゅうね〜  
 


 
  うん
やっぱり、おしゃれやね〜
 
 


 
  なんか、二人で、温泉に行ったり、滝を見に行ったり、魚を釣ったり・・・
龍馬さんの人生で、一番のんびり出来て楽しかったろ〜ね
 
 


 
  ・・・・・  
 


 
  へ〜
まゆがそんな事言うとは・・・
 
 


 
  っと
言う事で、私たちの楽しみは、家族旅行〜ね〜、ありさ♪
どっか、連れてってよ〜ん
 
 


 
  やった〜♪やった〜♪  
 


 
  やっぱり、そうきたか〜  
 


 
  おさらい。

京都では、攘夷派と佐幕派の殺し合いが続いていたようです。
佐幕派では、新撰組や、京都見廻り組が有名ですね。
龍馬さんは、攘夷派と佐幕派の両方から、命をねらわれていたようです。
が、薩長同盟に協力してくれる人を探し、毎日、歩きまわっていたようです。
けれども、薩摩と長州が手を結ぶはずがないと、相手にしてくれなかったようです。
龍馬さんの事を、「土佐の大ぼらふき」と、バカにした人もいたようです。
龍馬さんと、中岡慎太郎さんは、薩摩藩邸の西郷隆盛さん、長州藩の桂小五郎さんに、薩長同盟(仲直り)をするよう、強く、何度も、何度も、説得しました。
やっと、薩長同盟が、実現しました。この時、龍馬さん32歳だったそうです。
そのころ、藩の命令で、土佐勤王党は、解散。
武市半平太さんは、切腹させられたそうです。
龍馬さんは、大声をあげて泣いたそうです。
薩長同盟が結ばれた、次の日、寺田屋での事件が起こりました。
ここには、お竜さんが、働いています。夜中の3時ごろです。
お竜さんが、お風呂に入っていました。
小窓から見ると、槍や棒を持った捕り方(罪人を捕らえる役目の人)が、うじゃうじゃいます。
すでに、寺田屋は、囲まれていたようです。
お竜さんは、すっぱだかに近いかっこうで、
「気をつけてくれやす。捕り方が、ぎょうさん来てはります。」
龍馬さんは、6連発の拳銃を持っています。
いっしょにいた、三吉慎蔵さんも、槍を持って構えました。
上意の命令(幕府の命令)です。薩摩と長州をむすびつけ、幕府を倒そうとしている、龍馬さんをつかまえにきたのです。
龍馬さんは、何発か撃ちましたが、弾がきれ、三吉さんも槍を投げ捨て、裏から逃げました。間一髪のところで、助かりました。
けれど、龍馬さんは、指がつかえなくなるほど、両手を斬られてけがをしていました。
薩摩藩邸で、つきっきりの看病をしたのが、お竜さんだったそうです。
龍馬さんは、この時、お竜さんと、いっしょに(結婚)なろうと思ったそうです。 2人は、結婚しました。
結婚式は、薩摩藩邸。仲人は、西郷隆盛さん。立会人は、中岡慎太郎さん。
っと、いわれています。
西郷隆盛さんの心遣いで、薩摩藩の船で、鹿児島県にお竜さんと、2人で、旅行をしたそうです。
大変楽しい旅行だったそうです。
 
 


---土佐海援隊---


 
  よう海援隊って聞くけど、
龍馬さんら〜がつくった名前ながや〜
 
 


 
  海をまもり、海から日本を支えるという事で、
土佐海援隊とつけたと〜
 
 


 
  うん
海をまもり、鯨をまもり、人間を愛し・・・
鯨人やろ〜
 
 


 
  そう〜、いい子〜、いい子〜
ここは、これで終わりにしましょう〜♪
 
 


 
  おさらい。

翌年、龍馬さんは長崎にいました。
武器の売買や、船の売買をしていました。
亀山社中(かめやましゃちゅう)という会社をつくっていました。
長崎奉行が邪魔するおかげで、うまくいきません。
脱藩者を集めて、攘夷派の若者がいる亀山社中がめざわりだったようです。
そんなころ龍馬さんに会いたいという男がやってきました。
このときの、土佐藩の参政、後藤象二郎さんです。
土佐勤王党に斬り殺された、吉田東洋さんのおいにあたります。
また、土佐勤皇党を解散させ、武市半平太さんをはじめ、たくさんの人を処刑した人です。
「龍馬さん、いかんほうがえいです。わなです。武市さんのあだ討ちぜよ。後藤を斬ろう。」
「斬られるとおもうちゅうがは、向こうも同じよ。ま〜心配しなや〜。」
っと言って、後藤さんに会いにいきました。
「後藤といいよります。外国船をこじゃんと買いゆうき借金もつれです。」
「また、どうしてぞね。」
「これからは、外国と貿易をするべきだとおもいよります。坂本さんも、そうおもうちゅうがですろ〜。」
「なかなか、えいこと言うやんか。土佐藩の参政には、もったいないの〜。」
「脱藩するほど、わしには、度胸がないですきに・・・。」
っと・・・笑いました。
龍馬さんは、驚いたそうです。
けれども、たくさんの、おさななじみや、仲間が殺されました。
そんな、龍馬さんをさっし、後藤さんは、しゃべりました。
「土佐藩は、変わります。どうじゃろ〜土佐藩と、亀山社中とで、同盟をむすびませんか?なんちゃ〜口はだしません。好きなようにしていいですきに。海をまもり、海から、日本を守るということで、土佐海援隊というものをつくりましょう。」
龍馬さんは、考えましたが、こいつは、本物、そして、未来をみようと思ったそうです。
「今夜は飲もう〜ちや〜。」
2人は、飲みあかしたそうです。
こうして、龍馬さんがもちいる、海援隊。
中岡慎太郎さんがもちいる陸援隊ができました。
身分関係なく、平等に話し合いですすめていく集団だったそうです。
 
 


---龍馬さんの最後は・・・---


 
  もうそろそろ、クライマックスやね〜  
 


 
  なんか、涙が出てきた〜
かわいそうや〜
 
 


 
  へ〜泣けたかえ〜
泣けたまゆちゃんに、感動〜
 
 


 
  ほんと、親ばかやね〜
でも、泣けるね〜
 
 


 
  お母さん、泣いたら、いかん!
お化粧落ちて、オバケになっちゅうで〜
 
 


 
   
 


 
  う?(怒)  
 


 
  ・・・・・・・  
 


 
  おさらい。

龍馬さんは、後藤さんにいいました。
「薩摩と長州は、幕府と戦争をつもりです。けんど、血などながさんと、話し合いして、日本がひとつになって、外国に負けん国にならんといかんとおもうがぜよ。」
龍馬さんは、この八つの案を考えたのです。
1.徳川幕府が、朝廷(天皇)に政権をもどす事
2.これからの政府に、ふたつの議会を持つこと
3.すぐれた人は、身分関係なく、政府の仕事をしてもらう事
4.外国との交際は、すべて議会で決める事
5.憲法をつくる事
6.日本の物価を安定させ、外国と平等な条約をむすぶ事
7.首都を守る軍隊をつくること
8.海軍を充実する事
この、八つ政策を船中八策(せんちゅうはっさく)といいます。
すごいですね。今の憲法、二院制(衆議院、参議院)、現在の民主主義・・・。
龍馬さんの考えが、今の国のあり方に似ていますね。
龍馬さんは、藩にこだわらず、日本全体を考えていたのです。
そして、後藤さんは、龍馬さんのいうとおり、藩の代表を集め、大政奉還の話をすすめたのです。
そのころの、将軍、徳川慶喜さんも京都に呼ばれました。
260年も続いた、徳川家、15代将軍で、終わりにしようと、徳川慶喜さんは、決心しました。
自分の手で、徳川幕府を、終わりにしたのです。この決心で、おおくの血がながさずにすんだのです。
龍馬さんに、大政奉還の知らせが届きました。
龍馬さんは、
「将軍さんよ。おまさんは、よう決心した。なんぼか、つらかったろ〜。わしゃ〜。わかっちゅうき〜。おまさんのためなら、命をすててもえいぜよ。」
っと、いいながら、知らせの手紙を読みながら、泣いたそうです。

そんな、龍馬さんの命をねらう者がたくさんいました。
京都11月、龍馬さん33歳。運命の日がきました。
近江家の母屋の2階で、中岡慎太郎さんと、鳥鍋を食べていました。
ドタっと音がしました。龍馬さんの、用心棒、藤吉が斬られたのです。
ふすまがあきました。さむらいが立っています。
「才谷先生ですか?」
龍馬さんは、身を守るため、才谷梅太郎という名前を使っていました。
「おまさんは、だれぜよ。」
っと、いうなり、男は、刀をぬき龍馬さんの額を真一文字に・・・。
脳が飛び出るほどの、深い傷です。
龍馬さんは、自分の刀をとろとした時に、また、背中を斬られました。
さらに、もう一太刀、頭を斬られました。
いっしょにいた、慎太郎さんも斬られました。
部屋は、血の海だったそうです。
龍馬さんは、
「慎太郎まだ、生きちゅうか〜。わしは、脳を斬られちゅう。もういかんぜよ。」
「わしも、体を斬られた。」
「斬られるという事は、ほんまに痛いにゃ〜。」
っといいながら、床柱を背にむけいいました。
血が流れます。
ぼんやりしてきました。
幻を見ていたようです。
龍馬さんは、
「げに、まっこと、海は広いにゃ〜。」
っと言って静かに目をつぶりました。
慎太郎さんも
「みんな、奮闘せよ。」
っと、言って、二日後に亡くなりました。
ふたりを、斬った犯人は、未だわかっていないようです。
時代は、明治にかわりました。
残念ながら、たくさんの血がながれたようです。
もし、龍馬さんが、生きていれば・・・・。っと、皆さんも、おもいませんか?

         お・わ・り・です。
(もっと、くわしく、説明したかったのですが・・・すみません)