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おさらい。 「勝海舟先生の弟子になりました。長いあいだ、考えていた事の答えを、すべて勝海舟先生が教えてくれました。これからは、ただただ、実行していくのみです」 っというような、手紙を乙女ねえさんに書いているようです。 龍馬さんがどれほど、勝海舟さんに感動したか・・・。わかりますね。 龍馬さんは、さっそく人集めをしました。尊皇攘夷派だ、佐幕派だ、といって、人を殺しあうよりも、他の国に負けないような、日本にしようと・・・。龍馬さんの言っている正しさと、人がらにひかれて、若者が約200名ほど集まったそうです。 龍馬さんは、勝海舟さんと、江戸と大坂(いまの大阪)を順動丸という船で、何度も、行ったり、来たりしたそうです。神戸に海軍塾をつくるためです。 龍馬さんは、ここで航海術を学びました。雄大な海、すきとおる風、潮流を利用して、船は海の上を走ります。 「この海は、世界がつながっちゅうがぜよ」 っと、うれしいそうに、船に乗っていたようです。 また、勝海舟さんも、土佐藩主の山内容堂さんにかけあい、龍馬さんの脱藩を許してもらいました。 そして、脱藩した若者はたくさんいました。その若者を海軍塾でひきとる事も、許してもらいました。 龍馬さんは、勝海舟さんの秘書のような事をし、勝海舟さんの手紙をもって、日本中をまわっていました。 そんな、京都のある日の事です。 「だれか、助けておくれやす。家の中に弟が・・・。」 女の人が叫んでいます。 龍馬さんは、水をかぶり、炎の中に飛び込みました。 家の中には、刀をだいた少年がいました。 少年をだきかかえ外へ飛びだしました。間一髪で、助かったようです。 「おおきに・・・。おおきに・・・。」 その女の人の名前は、お竜さん。少年の姉でした。 このお竜さんが、龍馬さんの奥さんになる人です。 そして、神戸海軍操練所ができました。 龍馬さんをはじめ、若者皆、一生懸命学んだそうです。 火事で助けた、お竜さんの弟も訓練生になったそうです。 |
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おさらい。 神戸海軍操練所は、1年あまりで、つぶされてしまいました。 幕府の命令だそうです。尊皇攘夷派が、幕府をたおす訓練をしていると、思ったようです。 もちろん、説明してもわかってくれません。 龍馬さんたちの大きな夢が、わからなかったようですね。 勝海舟さんにも、江戸にもどるよう命令が出たようです。 軍艦奉行の肩書きもとられ謹慎処分となったそうです。 勝海舟さんは、江戸に戻るまえ、龍馬さんと、話をしたそうです。 「龍さんよ。おれは、謹慎処分でとうぶん表には出られね〜。これから、日本をひとつにするには、どうなさるんだい?」 「幕府は、もう終わりとおもうがです。薩摩も長州も幕府をたおすつもりやないろ〜か。」 「薩摩と長州は、仲悪いぜぃ。」 「じゃけんど、攘夷派、佐幕派の前に、このふたつを同盟(仲直り)させる、それができんかったら、日本は、滅ぶしかないでしょう。」 「幕府の役人がいうのも、おかしいな話だが、龍さんのいうとおりだぜ。日本がひとつになり、いったん大政を朝廷にもどしたほうがいいだろうな〜。」 「大政奉還ですか?」大政奉還とは、将軍の実権を朝廷(天皇)に返す事です。 「攘夷派と佐幕派。たくさんの血が流れるぞ。外国の思うつぼだ。皆、なぜわかんね〜んだ。」 「勝先生、わしが皆を説得しますきに。わしがやりますきに。」 「龍さん、悪いが、やってくれるかぃ。」 っと、いう会話をしたそうです。 そのころ、土佐では、勤王党員(攘夷派)がつぎつぎと、逮捕されていました。 中岡慎太郎さんも、ついに脱藩したそうです。 勝海舟さんは、龍馬さんを、西郷隆盛さんのいる京都の薩摩藩低に行かせました。 また、中岡慎太郎さんも、京都の薩摩藩低をめざしていました。 龍馬さんと、中岡さんも、薩摩と長州を仲直りさせる事。 と、同じ事を考えていたようです。のちに、薩長同盟が実現したそうです。 このころ龍馬さんは、また、命をねらわれるようになりました。 尊皇攘夷派からは、勝海舟と手むすんだ、うらぎりものと・・・・。 佐幕派からは、尊皇攘夷派だと・・・。この時、龍馬さんは、30歳だったそうです。 |
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おさらい。 京都では、攘夷派と佐幕派の殺し合いが続いていたようです。 佐幕派では、新撰組や、京都見廻り組が有名ですね。 龍馬さんは、攘夷派と佐幕派の両方から、命をねらわれていたようです。 が、薩長同盟に協力してくれる人を探し、毎日、歩きまわっていたようです。 けれども、薩摩と長州が手を結ぶはずがないと、相手にしてくれなかったようです。 龍馬さんの事を、「土佐の大ぼらふき」と、バカにした人もいたようです。 龍馬さんと、中岡慎太郎さんは、薩摩藩邸の西郷隆盛さん、長州藩の桂小五郎さんに、薩長同盟(仲直り)をするよう、強く、何度も、何度も、説得しました。 やっと、薩長同盟が、実現しました。この時、龍馬さん32歳だったそうです。 そのころ、藩の命令で、土佐勤王党は、解散。 武市半平太さんは、切腹させられたそうです。 龍馬さんは、大声をあげて泣いたそうです。 薩長同盟が結ばれた、次の日、寺田屋での事件が起こりました。 ここには、お竜さんが、働いています。夜中の3時ごろです。 お竜さんが、お風呂に入っていました。 小窓から見ると、槍や棒を持った捕り方(罪人を捕らえる役目の人)が、うじゃうじゃいます。 すでに、寺田屋は、囲まれていたようです。 お竜さんは、すっぱだかに近いかっこうで、 「気をつけてくれやす。捕り方が、ぎょうさん来てはります。」 龍馬さんは、6連発の拳銃を持っています。 いっしょにいた、三吉慎蔵さんも、槍を持って構えました。 上意の命令(幕府の命令)です。薩摩と長州をむすびつけ、幕府を倒そうとしている、龍馬さんをつかまえにきたのです。 龍馬さんは、何発か撃ちましたが、弾がきれ、三吉さんも槍を投げ捨て、裏から逃げました。間一髪のところで、助かりました。 けれど、龍馬さんは、指がつかえなくなるほど、両手を斬られてけがをしていました。 薩摩藩邸で、つきっきりの看病をしたのが、お竜さんだったそうです。 龍馬さんは、この時、お竜さんと、いっしょに(結婚)なろうと思ったそうです。 2人は、結婚しました。 結婚式は、薩摩藩邸。仲人は、西郷隆盛さん。立会人は、中岡慎太郎さん。 っと、いわれています。 西郷隆盛さんの心遣いで、薩摩藩の船で、鹿児島県にお竜さんと、2人で、旅行をしたそうです。 大変楽しい旅行だったそうです。 |
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おさらい。 翌年、龍馬さんは長崎にいました。 武器の売買や、船の売買をしていました。 亀山社中(かめやましゃちゅう)という会社をつくっていました。 長崎奉行が邪魔するおかげで、うまくいきません。 脱藩者を集めて、攘夷派の若者がいる亀山社中がめざわりだったようです。 そんなころ龍馬さんに会いたいという男がやってきました。 このときの、土佐藩の参政、後藤象二郎さんです。 土佐勤王党に斬り殺された、吉田東洋さんのおいにあたります。 また、土佐勤皇党を解散させ、武市半平太さんをはじめ、たくさんの人を処刑した人です。 「龍馬さん、いかんほうがえいです。わなです。武市さんのあだ討ちぜよ。後藤を斬ろう。」 「斬られるとおもうちゅうがは、向こうも同じよ。ま〜心配しなや〜。」 っと言って、後藤さんに会いにいきました。 「後藤といいよります。外国船をこじゃんと買いゆうき借金もつれです。」 「また、どうしてぞね。」 「これからは、外国と貿易をするべきだとおもいよります。坂本さんも、そうおもうちゅうがですろ〜。」 「なかなか、えいこと言うやんか。土佐藩の参政には、もったいないの〜。」 「脱藩するほど、わしには、度胸がないですきに・・・。」 っと・・・笑いました。 龍馬さんは、驚いたそうです。 けれども、たくさんの、おさななじみや、仲間が殺されました。 そんな、龍馬さんをさっし、後藤さんは、しゃべりました。 「土佐藩は、変わります。どうじゃろ〜土佐藩と、亀山社中とで、同盟をむすびませんか?なんちゃ〜口はだしません。好きなようにしていいですきに。海をまもり、海から、日本を守るということで、土佐海援隊というものをつくりましょう。」 龍馬さんは、考えましたが、こいつは、本物、そして、未来をみようと思ったそうです。 「今夜は飲もう〜ちや〜。」 2人は、飲みあかしたそうです。 こうして、龍馬さんがもちいる、海援隊。 中岡慎太郎さんがもちいる陸援隊ができました。 身分関係なく、平等に話し合いですすめていく集団だったそうです。 |
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おさらい。 龍馬さんは、後藤さんにいいました。 「薩摩と長州は、幕府と戦争をつもりです。けんど、血などながさんと、話し合いして、日本がひとつになって、外国に負けん国にならんといかんとおもうがぜよ。」 龍馬さんは、この八つの案を考えたのです。 1.徳川幕府が、朝廷(天皇)に政権をもどす事 2.これからの政府に、ふたつの議会を持つこと 3.すぐれた人は、身分関係なく、政府の仕事をしてもらう事 4.外国との交際は、すべて議会で決める事 5.憲法をつくる事 6.日本の物価を安定させ、外国と平等な条約をむすぶ事 7.首都を守る軍隊をつくること 8.海軍を充実する事 この、八つ政策を船中八策(せんちゅうはっさく)といいます。 すごいですね。今の憲法、二院制(衆議院、参議院)、現在の民主主義・・・。 龍馬さんの考えが、今の国のあり方に似ていますね。 龍馬さんは、藩にこだわらず、日本全体を考えていたのです。 そして、後藤さんは、龍馬さんのいうとおり、藩の代表を集め、大政奉還の話をすすめたのです。 そのころの、将軍、徳川慶喜さんも京都に呼ばれました。 260年も続いた、徳川家、15代将軍で、終わりにしようと、徳川慶喜さんは、決心しました。 自分の手で、徳川幕府を、終わりにしたのです。この決心で、おおくの血がながさずにすんだのです。 龍馬さんに、大政奉還の知らせが届きました。 龍馬さんは、 「将軍さんよ。おまさんは、よう決心した。なんぼか、つらかったろ〜。わしゃ〜。わかっちゅうき〜。おまさんのためなら、命をすててもえいぜよ。」 っと、いいながら、知らせの手紙を読みながら、泣いたそうです。 そんな、龍馬さんの命をねらう者がたくさんいました。 京都11月、龍馬さん33歳。運命の日がきました。 近江家の母屋の2階で、中岡慎太郎さんと、鳥鍋を食べていました。 ドタっと音がしました。龍馬さんの、用心棒、藤吉が斬られたのです。 ふすまがあきました。さむらいが立っています。 「才谷先生ですか?」 龍馬さんは、身を守るため、才谷梅太郎という名前を使っていました。 「おまさんは、だれぜよ。」 っと、いうなり、男は、刀をぬき龍馬さんの額を真一文字に・・・。 脳が飛び出るほどの、深い傷です。 龍馬さんは、自分の刀をとろとした時に、また、背中を斬られました。 さらに、もう一太刀、頭を斬られました。 いっしょにいた、慎太郎さんも斬られました。 部屋は、血の海だったそうです。 龍馬さんは、 「慎太郎まだ、生きちゅうか〜。わしは、脳を斬られちゅう。もういかんぜよ。」 「わしも、体を斬られた。」 「斬られるという事は、ほんまに痛いにゃ〜。」 っといいながら、床柱を背にむけいいました。 血が流れます。 ぼんやりしてきました。 幻を見ていたようです。 龍馬さんは、 「げに、まっこと、海は広いにゃ〜。」 っと言って静かに目をつぶりました。 慎太郎さんも 「みんな、奮闘せよ。」 っと、言って、二日後に亡くなりました。 ふたりを、斬った犯人は、未だわかっていないようです。 時代は、明治にかわりました。 残念ながら、たくさんの血がながれたようです。 もし、龍馬さんが、生きていれば・・・・。っと、皆さんも、おもいませんか? お・わ・り・です。 (もっと、くわしく、説明したかったのですが・・・すみません) |
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