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おさらい。 龍馬さんは、河田小竜さんに、アメリカと日本の違いを聞きましたが、中でも、いまこそ、日本がひとつになって外国から、身を守らなければいけない事。 武士やら、藩やらこだわっている日本がおかしい事。まずは、カンパニー(会社)をつくり、外国の船を買い、運送業をはじめ、そうすれば、航海術も同時に学べるし、もうけたお金でまた、船を買う。 町人、さむらい、農民や漁師、やる気のある物は、身分に関係なく仲間になり、もし外国の軍艦がせめてくれば、買った船でたたかう事もできるんだよ。 っと、話してくれた。事をいつも思い出します。そして、しっかりと、自分がなにを、すべきか、・・・・。 いつか、わしがやっちゃる。っと、決心したのです。 「父上、わしに、船を買うてくだされ」 「舟か、かまんが、なんぼする?」 「さぁ〜、一万両もあれば買えるろうか〜」 「何?一万両?」驚。 父の八平さんは、大変おどろいたそうです。手こぎの小舟だとおもったそうです。 一万両と聞いて、あごがはずれるほどあきれたそうです。そんなお金は、ありません。 けれど、どこか、うれしかったそうです。あの、泣き虫、よばりたりの龍馬が・・・。 とてつもない事を考えていた龍馬さんでした。 八平さんは、翌年亡くなったそうです。 龍馬さんは、そのつぎの年、悲しみを胸にひめながら、ふたたび江戸へ行きました。 剣術修業の他に世の中の動きを、江戸で確かめたかったのです。同じ目的で江戸へいった物がいます。 武市半平太さんです。龍馬さんと親戚すじにあたります。 ある日、半平太さんが、龍馬さんに相談に来ました。 「こまったことが、おきてしもうた。」 おなじ、土佐から、修業にきていた仲間が、酒を飲み、通りすがりの商人にからんだのです。 商人は、逃げたのですが高価な西洋時計を落としてしまいました。 その、時計を売り飛ばそうとした時にこの事が、みつかってしまいました。 土佐藩のはじだと、皆おこったそうです。このままでは、切腹は、まちがいありません。 龍馬さんは、すぐにその商人のところへいきました。額を地面にこすりつけ、ひらあやまりをしたそうです。 さむらいにそこまでされた、商人はいません。 龍馬さんのあたたかな人がらに心打たれて、商人は、訴えをとりやめました。 その足で、龍馬さんは、その男に、 「時計ごときで、腹を切ってどうする」 っと、言って、こっそり、逃がしたそうです。 そののち、この男は、心を入れ替えて、キリスト教に入信し、やがて、大司教にまでなったそうです。 人の一生とは、わかりませんね。 |
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おさらい。 龍馬さんが、江戸へ来て2年になろうとしていました。 幕府とアメリカの間で、日米修好通商条約が結ばれました。 この条約は、アメリカのほうが、大もうけするしくみになっていたようです。 また、アメリカ人が、おこした犯罪は、日本の法律で裁判するのではなく、アメリカの法律で裁判するきまりでした。 アメリカの都合のいい条約といえます。このあと、同じ条約が、オランダ、イギリス、ロシア、フランスとも結ばれます。 これをすすめたのは、大老の井伊直弼さんでした。大老とは、将軍の次に力をもった人です。 直弼さんは、自分のやりかたに反対する大名たちをおさえつけました。 土佐藩主、山内豊信さんも、むりやり隠居させました。 また、吉田松陰さんをはじめたくさんの人が処刑されたそうです。 これを、安政の大獄(あんせいのたいごく)といいます。 これでは、外国のおもうつぼです。日本が、ひとつにならなければならないときに・・・。 血なまぐさい、うちわもめがはじまったのです。龍馬さんも半平太さんも、自分がなにをすればいいのか・・・・。 ずいぶんと考えたそうです。 その年の秋、龍馬さんは、土佐にもどりました。 龍馬さんは、きらいな勉強をはじめました。 ある日、小竜さんが、開いている塾に行き老子(ろうし)という本をじっとみています。 龍馬さんの勉強きらいは、有名だったようです。塾生のひとりが、 「おまさん、老子がよめるがか?」 「よめん」「よめんけど、意味はわかるがやき」 人之生也柔弱 基死也堅強 万物草木之生也柔脆 基死也枯槁 故堅強者死之徒 柔弱者生之徒 っと本に書いてあります。 「ほんなら、たずねるけんど、どういう意味ぜよ」 「人間は生まれたときは、柔らかいからだをもっちゅう。死んだら、堅くなって動かんようになる。草や、木もそうや。だから、なんでも硬く考えたり、えらそうにしちゅうやつは、死の仲間ぜよ。じっさい、そういうやつは、すっと人を斬る。ゆったりと、考えたり、弱いものの立場で考える人間は、生の仲間ぜよ。ほんとうに、たのしく生きるためには、どうしたら、えいかを書いちゅうがよ。」 塾生はうなりました。龍馬さんのいうとおりです。 そんな、龍馬さんを馬鹿にするものも、いたそうです。 が、龍馬さんは、そんな事、ちっとも、気にしなかったそうです。 |
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おさらい。 そんなころ、水戸藩(茨城県)や薩摩藩(鹿児島県)の尊皇攘夷派(そんのうじょういは)のさむらいたちが、大老の井伊直弼さんを斬り殺したのです。 雪の降る日でした。安政の大獄にたいするしかえしでした。これを、桜田門外の変(さくらだもんがいのへん)といいます。 尊皇攘夷派とは、将軍よりも天皇を尊び、外国の侵略を許さない人のことです。 尊皇攘夷派運動に火がつきました。 それは、江戸幕府をたおして、あたらしい政府をつくろうという、倒幕運動になっていっそうです。 桜田門外の変の知らせが、土佐にも届きました。 そこで、土佐勤王党(とさきんのうとう)ができました。 勤王というのも天皇を尊ぶという意味です。 土佐勤王党の代表は、武市半平太さんでした。龍馬さんも参加しています。 が、下士という身分の武士がおおかったのです。上士、下士の対立は、いっそう深まりました。 小さい土佐藩でさえ、ひとつにまとまりません。 上士とか、下士とか、つまらない事で、いがみあっていたそうです。 龍馬さんは、馬鹿らしくて仕方ありません。 龍馬さんがめざしているのは、みんなが、平等な世界です。みんなで、働いて、みんなで、分け合う社会です。 龍馬さんの心は、土佐藩でもありません。もっとおおきな世界を探していたようです。 土佐勤王党の代表である半平太さんは、あくまでも、土佐藩にこだわりました。 土佐藩の実力者は、参政の吉田東洋さんでした。参政とは、藩の大臣のようなものです。 この、吉田東洋さんを斬り土佐勤王党の藩にするというかんえだったようです。 龍馬さんは、半平太さんに 「斬ったらいかん。おんしゃ〜こまい考えすてや〜。土佐、土佐、土佐。土佐ばっかりじゃないか」 と、龍馬さんがいうと、 「自分の足もとかためんと、日本も世界もないがやろ〜」 と半平太さんは、言ったそうです。ふたりの話は、まとまりません。 そんな、話をじっと、中岡慎太郎さんが、きいています。龍馬さんより3歳年下です。 龍馬さんと同じ考えなのですが、半平太さんの事も尊敬していたようです。 龍馬さんは、脱藩しました。28歳の春でした。土佐を出ました。脱藩を聞いた半平太さんは、 「龍馬は、しょせん、こまい土佐におりゃせん。龍は、龍らしく飛んでいったがよ」 っといったそうです。 そののち、土佐藩参政の吉田東洋が、斬り殺されました。 龍馬さんが、脱藩した、10日ほどあとのことです。龍馬さんがうたがわれました。 暗殺したのは、土佐勤王党の3人、代表の半平太さんでした。 龍馬さんは、うたがわれたまま命をねらわれました。 龍馬さんが、身の危険を感じたのは、これが最初だったそうです。 |
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おさらい。 龍馬さんは、江戸の千葉道場の重太郎さんとある人をたずねました。 土佐の河田小竜さんの口からも聞いた方です。 重太郎さんの父(定吉)に紹介状を書いてもらいました。 「勝海舟先生はおりますろうか〜」 りっぱな門構えの家です。家来のさむらいたちが、厳しい目で、観察しています。 尊皇攘夷派をさけぶ若者たちが、勝海舟さんの命をねらっていたからです。 「おれに用って、おまさんたちかい。土佐の龍馬さんに、重太郎さんかい。まっ、あがんなよ」 っと、紹介状を見ながら言ったのは、小柄な勝海舟さんでした。 龍馬さんは、いつものくせで、ニコッと笑ったそうです。 勝海舟さんは、この時40歳。日本初の蒸気軍艦、咸臨丸で、アメリカに行った人です。 幕府の、軍艦奉行並という身分です。西洋式のランプや地球儀がありました。 「おれを斬りにきなすったのかい。」龍馬さんには、斬るつもりは、ありません。 「これからは、海の時代じゃとおもうちょります。海は、万国につうじ、万国は海によってつながれちょります」 「ほう。それで、どうしてえんだ」 「船がほしいです。外国と対等に商売をして、こじゃんともうけたいですきに」 「もうけて、どうなさる」 「船をどんどんつくります。船で商売しながら、航海術もまなびます。身分関係なく、カンパニー(会社)をつくりたいがです。もうけたお金で、外国から、侵略されんように海軍もつくらなければなりません。それをどうしたらえいか、教えてもらいに来ました」 勝海舟さんは、龍馬さんなら、ほんとことを言ってもいいと思ったそうです。 「俺は、将軍のためでもねえ〜。天皇のためでもねえ〜。この日本の国のため。民のためよ。」 っと言ったそうです。 それから、勝海舟さんは、龍馬さんに、いろんな事をはなしたそうです。 2本の鉄道の事。巨大なビルディングという建物の事。 柱と柱のあいだにつないだ、電線の事。 このままだと、日本もが殖民地にされる事・・・・。 いろいろ・・・・。龍馬さんは、声が出ませんでした。体がふるえて仕方ありません。 勝海舟さんは 「幕府のためなんて、けちなことはいわねえ〜。万国の民のためにだよ。どうでぃ。龍さん、重太郎さん、おれと組んで、ちと働いてみねえか〜。」 龍馬さんは、長いあいだ探していたものが、はっきりみえたのでした。 「たまげた。おまさんは、ごっつい人じゃ〜。わしを、弟子にしてください。勝先生。おねがいしますきに。」 っと、両手を座敷につき、深ぶかと頭をさげたそうです。 |
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